投票系イベントについて少々

 

リクアワの投票が始まってますね!

 

 

今から書くことはタイトルにもあるように選抜総選挙のときも思ったことなのでそちらとも重ねてお読みいただければと。

 

 

総選挙に限らずここ数年の投票系イベントは私のなかでどうもコレジャナイ感がつきまとっていて、それを完全ではないにしろ文字化してみた次第です。

 

先日、映像倉庫にて第1回選抜総選挙の映像を観ていて、それらの本来の目的を再認識できたような気がしたのです。

 

簡単にいうと「運営の選抜チョイスはいつも同じだからオタクにも選抜メンバーを決める機会を設けよう」という感じでしょうか。

(リクアワは「選抜メンバー」が「セットリスト」になるだけだとここでは考える)

 

 

ランクインしたいという気持ちはおそらくほぼ全員にあるのでしょうが、私が近年みる違和感なるものはその気持ちの表し方にあるのではないか、と思ったわけです。

 

先述の「本来の目的」の下、それぞれオタクは熱くなって推しメンを上位に入れようとするというのが一連の流れだったはずが、どうも今はメンバー側からの焦りや悲愴がオタクを無理矢理動かしているように思えてしまうのです。僕は総選挙自体にはそんなに思い入れがあるほうではないですが握手のためにCDは買うので結果的に投票はしています。来年は推しメン3人に均等に投票しようかなという感じで、かつ僕にも人間関係があるので来年もきっと熊崎晴香さんには1票入れるでしょう(別に頼まれているわけではなくてささやかな気持ちとして)。

 

リクアワは投票系イベントの違和感の最たる例で、推しメンに「何に投票すれば良い?」と聞いてから動く人が多い気がします。

 

「◯◯を△位へ」みたいなの、なんだかなぁと思いますね。その子が出るかわからないじゃん。きっとそれは「◯◯に投票してね!」と言ったメンバー自身もその時点で必ずその曲に出られるとは限らないという前提で言ってるし。

 

だから投票するなとは言ってませんよ。でもその曲、推しが出ていなくても聞きたいと思えるような曲でしょうか。ってことかな。

(まあ「誰がどんな曲を歌うのだろう」系の楽しみはAKB紅白が担っているのでリクアワの場合は大体はオリメンな印象はある)

 

そういう観点で僕は「ファースト・ラビット」と「暗闇」に入れました。

 

 

 

 

話は変わって先日「小嶋真子ファンミーティングバスツアー2018」に参加してきました。

 

移動中のバスでリクアワの話になり、ある方が「◯◯(忘れた)に入れたよ!」と言っていて、それに対してこじまこは

 

「じゃあそれはその一票で終わりにして、あとは好きな曲に入れてね。リクアワはそういうものだよ」(大意)

 

と言っていました。

 

そうなんだよな。こういう子が増えてほしい。

 

彼女は総選挙のときも「自分とファンの皆さんが楽しめれば良い」と言っていて明確な目標順位は言っていなかった記憶がある。

 

速報はうーんって感じだったけど最終的に19位になったというのは紛れもなく彼女の力でしょうよ。

 

こういう子が増えてほしいし報われてほしい。