書きながら“あの日”を振り返る

 “あの日”から2年経ったということで何か書いてみることにした。“あの日”は昼夜とも向井地美音推し席にいた。昨年や今年もしこのイベントが開催されていたとしたら...どこの席にいただろうか。

 昼のグループコンサートは、各グループをそれなりに知っている人間はいろいろな楽しみ方ができると感じた。他方、一つのグループに傾倒している人間は知らない曲ばかりで、その場にいるのにアウェイ感を引き立たせてしまうような演出であることも間違いではなかったと思う。いや、ナゴヤドームは野球場なのでアウェイ感でなくビジター感というべきか。それはさておき、たしかに曲ごとの温度差はあの場で感じていた。DD席だとまた違ったのだろうが。僕は当時もどちらかといえば48グループにおいては横断型のオタクであったので、「結晶」にも沸くし、「兆し」にだって沸いた。「大人列車」を撮影タイムに持ってくる勿体無さに憤りを覚えたりもした。そしてそれらはすべて浮いた。

 そういう意味で僕はあのコンサートを楽しめた側のオタクなので、当時いわれた松井珠理奈の数々の行為はコンサートの雰囲気を壊しうるイヤなものという認識でしかなかった。実際オープニングアクトの1曲目冒頭で「来るの遅いよ」なんて言うのは褒められるものではなかったと思うし、あの日の彼女はどう見てもどこかおかしかったと思う。ところが、同伴してくれたSKEオタの彼は僕ほどそれを感じていない様子であった。日頃応援しているという贔屓目があるのは当然ではあるが、逆にその贔屓目があることで感じ方がこうも違うものかと思わされた。元々は僕もSKEオタだったのだが、ここらへんの時期はAKB(と若干のHKT)にもっぱら傾倒していたので、だからこそギャップを感じやすかったのだと思う。そのギャップがこの日は悪い方向へ目立ってしまったということである。

 このように決して明るくはない気持ちではあったが、偶然にも夜の開票イベントにて僕がSKEに戻るきっかけを与えてくれた第29位のメンバーがいた。だから2018年〜2019年はSKE48劇場に多く通った。ゆななの卒業発表に居合わせたりもした。映画『アイドル』だって舞台挨拶ありのものを観た。関東ツアーも参戦したし、初めて握手会で遠征もした。

 こうして“あの日”に感じたギャップを少しずつ埋めていった今は、あのときの僕らの感情のズレのわけがわかるような気がしている。さっき僕は“あの日”の自分のポジションを「あのコンサートを楽しめた側」と書いた。この書き方だと当然その対極にあたる「あのコンサートを楽しめなかった側」が存在するはずだが、その最たる人物こそ松井珠理奈だったのではないか、と思っている。映画『アイドル』を観て、いわれてみればあのグループコンサートにSKEの曲は少なかったと気づいた。地元名古屋での開催、1位を期待されるプレッシャー、1期生との約束。そういったものが自身を追い込む要因となって、結果的にあのような形で本番出てしまったのだのだと思う。今映像を見返してみてもあれはもはや狂気だった。

 自身のスピーチで松井珠理奈は「みんな寂しそう」「メンバーの寂しい姿を見たくない」と言っていた。総監督(当時)の横山由依STU48船長の岡田奈々をはじめ、グループを担ういわば上位層のメンバーのスピーチには「過去のAKBと比べて私たちは...」といったどこかネガティブな要素が含まれている傾向があったが、それらの現状否定的な発言を彼女は「今の48グループがいちばん最高です」という言葉でもって否定して宣言してみせた。丸3日寝ていないという彼女だもの、あの場で巧妙な嘘はつけなかっただろう。今の48グループを肯定したいという思いに偽りはなかったはずだ。全盛期から48グループを牽引してきた彼女からこの言葉が発せられたのはうれしいことだと思う。世間的には翳りゆく今の48グループを肯定しようとして、彼女はどこかおかしくなってしまったのだ。彼女にしてみれば寝ていなくてもキレキレのパフォーマンスを魅せるのがアイドルなのかもしれないが、寝ないと人はダメになることを教えてくれるアイドルもいたって良いではないか。実に現代的だ。

 以上の文章が、たまたま菅原茉椰に心奪われたオタクが立ち位置をSKE寄りに変えて松井擁護に回ったと読める人はそれはそれで良いが、あの場にいた一人の観客としてはやはり後味は良くなかったことに変わりはない。それでも、“あの日”のSKEオタはこういう見方をしていた人もいるのだということが伝われば良い。