劇場公演と私

 大前提として劇場公演は最高である。そこで今回、自分は劇場公演をどう見ているのか、何を見ているのか等々を、直近に生で観た3公演を振り返りつつ考えていくことにする。

 なお私は現在、生で観た公演のアーカイブは観ないと決めている。あの場で得た気持ちやその記憶の塗り直しはしたくないと考えるからだ。だからいわゆる詳細な「レポ記事」ではないことを断っておく。それではその3公演について個々に書いていく。

5/16(月) AKB48「僕の太陽」公演@AKB48劇場

 ビンゴは9順くらいだった記憶。下手ブロックの4列目に座った。結果的にはこれが大失敗だった。ユニットとか最後の映像とか何も見えなかったわ。モチベ的に立つ選択肢がなかったしまあ公演自体はふつうに楽しかったから良いけど。きぃちゃんとひななはよく見えた。あとは馬嘉伶を劇場で初めて観たかな?

5/28(土) SKE48 Team S「愛を君に、愛を僕に」公演 初日@SKE48劇場

  • 青海ひな乃・赤堀君江・石塚美月・井上瑠夏・上村亜柚香・北川愛乃・鬼頭未来・坂本真凛・杉山歩南・竹内ななみ・都築里佳・中坂美祐・仲村和泉・野村実代・平野百菜松本慈子

 G列だったので客観的にも決して良い席ではないのだろうけど、初日に入れただけで有難い。それにSには推しがいないので「広く」観たいと思っていたし全然良かった。まずこの公演のクリエイター側が真凛ちゃんの良さをよくわかってると思った。あとは8年半待ったぴよすの「マジ」を見た。慈子と亜柚香の本気も伝わってきた。10期3人の食らいつきようも観てて楽しい。Sの10期は3人ともビジュアルが強い。TKが公演のフォーマットをきちんと勉強したであろうこともひしひしと感じた。推しがいなくても公演は楽しいことを再認識。

6/4(土) AKB48「僕の太陽」公演 向井地美音 生誕祭@AKB48劇場

 ビンゴは7順くらいでセンブロ3列目に着席。チケセンの推し登録日数が4桁なので当選はしたけど、昔ほどの熱量はない。でもそんな状態で観れたのがむしろ良かった。にしてもメンバー強すぎるだろ。ゆいりーが凄いとかは自明すぎるのでまあいいとして、きぃちゃんと愛美が良かった。村山4と込山Kは公演観てるはずだし2人とも握手行ったことあるから良さはある程度知った上で、その期待を大きく上回ってきた。こんなつよつよのメンバーでやる僕太でみーおんしか見ないってのはちょっともったいないと思った。これに関しては俺のみーおんモチベの問題かメンバーが強すぎるせいなのかはわからない。センブロの中では上手寄りの席だったからみーおんのゼロズレは結構あって、みーおん推しとしての楽しみ方もできたとは思う。あとみーおん推しは僕太では上手の立ちが一番楽しめると思うよ。「RUN RUN RUN」と「BINGO!」に全振り。

 この3公演は、今の僕のなかではすべて一応は「推しメン不在の公演」に分類されるのだろう。そういうことにして話を進めさせてくれ。自分の過去のブログを見ると、そういったフラットな視座でいたほうがトータル的な満足度が高いことがわかった。つまりは僕は、劇場公演そのものを楽しんでいるわけで、そこに推しメンが出演しているかどうかはさほど重要ではないのだろう。これは新たな気づきだった。これまで推しメンが出演する公演は、終始推しメンしか見てこなかったが、無意識的にどこかそういう見方に否定的な気持ちもあったのだろう。じゃあ推しメンがいても「広く」観れば良いじゃんという話なのだが、それもそれで違う気がする。それができるなら「推しメン」などという言葉で差別化を図る必要がない。

 劇場公演というのは、それこそ市川愛美さんの言葉を借りれば、メンバーとかファンとか、そういう括りを越えてそこにいる人間が「一体」となれる場所なのだと思う。セルフ推しカメラでは、その一体感は満足されないのではないかと思う最近である。

 サイリウムをはじめとするグッズも近頃は携えていない。生誕祭等での統一サイリウム企画のときだけ配布されたものを使う。「一体」への参加の意思としてはクラップや振りコピで十分だということと、色を変えたりしていて大事なところを見損ねた、なんてことがあっては本末転倒だと感じるからだ。

 全員同じ色にする企画は良いと思うけど、それぞれが特定の色にするのってレス乞食みたいでちょっと下品に見えちゃう。全員がそうではないと思ってますよ念のため。推しサイは、アナタのファンはここにいますよ、という安心感を与えるためのものであってほしいしあまりそれ以上であってほしくない。それにさ、そのレスってオタクを「個」としてでなく「色」として判別された上のレスなわけじゃん。その手のオタクなんてたいてい認知されたい欲望のかたまりなわけでしょ。その程度のレスで良いわけ?と思いますね。

 僕は「知られたい」「名前覚えられたい」が元々ないし、握手会が再開されるまでトーク会は見送ろうと思っているうちに「握手したい」「話したい」すらなくなってきた。僕の中のアイドルが文字通りの「偶像」に近づいてきているのだろうか。そしてその「偶像」の謁見が唯一許される場所が劇場なのである。今の僕にとっては劇場はそれほど神聖な場所だという位置づけだ。

 話は戻って、では推しメン制度を廃せば良いかというとそういうことでもない。菅原茉椰さんと太田彩夏さんが推しメンなのは事実である。コロナ前は握手会に行っていたので認知なるものがあるのも事実だ。それに僕は菅原茉椰さんと太田彩夏さんが好きなことが先行するのでSKE48が好きだという感覚はあまりない(たぶんこれは栄オタとしては稀有)。つまり箱推しというわけでもないということだ。これはどういうことかといえば、先述のとおり推しメンがいない公演も楽しいし、何ならそっちのほうが劇場公演としての楽しさはより感じられるかもしれないが、一方で、箱推しではない手前基本的には推しメンのいない公演にはわざわざ応募しないし、そのために名古屋にまで行く気はしないというのもまた事実であるということである。

 過去のブログを見ると、推しメンがいない状態で観れたのがむしろ良かった系感想はNMB劇場に多いことに気づく。NMBは最愛の推しが卒業したので明確な推しを作る気はないが、アイドル以外で大阪に行く理由ができたので、彼女の卒業後もNMBの劇場公演はちょくちょく観ている。そして今回のAKB劇場での気づきを踏まえると次のように説明できる。AKBとNMBはそもそも推しがいない(=存在しない)のですべての公演が「推しメンがいない公演」なのである。またAKB劇場は千葉県在住の僕には気軽に行ける場所だし、NMB劇場は行くとしてもそれだけが目的ではなくなったことで、大阪遠征の満足度が劇場公演だけに依存しておらず、せっかく大阪まで来たのに云々の気持ちにはなりにくいのだ。他方SKEは推しメンがいる(=存在する)ので推しメンの姿を拝みたい気持ちがどうしても出てくるし、名古屋に行くのはSKE48に用があるときだけなので、推しのいない公演でも楽しいのはわかっていても、推しの姿が見れないと知りながら新幹線に2万出したり、高速バスに6時間揺られたり、推しのいない公演を投げたある種の罪悪感だったりを考えるとどうにも割に合わないと思ってしまうのだ。だから僕はKⅡ公演やE公演に応募するし、SKE劇場に限っては推しメンばかりに目をやる。ただしそこで得られる満足感は、劇場公演からではなく推しメンから受け取っているものなのだろう。今回は例外的にSの初日に応募して当選したので、劇場公演としての楽しさをSKE劇場でも享受できたのは良かった。それにS公演はほんとうに良い公演なのでSに推しがいるなら絶対に観るべきだと思う。しかし、私に限ればよほどのことがなければS公演に応募することはないのかなとも思う。って書いてるけどおまえ今度の返金保証公演申し込んでるよな?(追記:外れた)

 最後に、このような考えを押し付ける気などは一切ないことは申し述べておく。私だって栄には一応サイリウムは持って行くようにはしているし。

 48オタにおいて、贔屓のグループの地域に住んでおらず、さらには別グループの劇場が近くにあるオタク諸氏においては、一度そこの劇場公演に行ってみてはどうだろうか。ただし僕の考えでは推しメンは作る必要はないと思うし作らないほうが良いと思う。もし推しメンができたらその日からはn足(n∈ℕ,n≧2)のわらじでも良いじゃないか。AKB48劇場の現行「僕の太陽」公演はとても良い。新チームが始動してきてチーム公演がメインになる前に一度観てほしい。

 自分の内なる考えを知るきっかけをくれた向井地美音さんに感謝申し上げたい。だがAKB48の最新シングル「元カレです」を、向井地美音生誕祭公演で観るというのは、今の僕には刺さるものがあったことを申し添えて、筆を置かせていただく。